自分じゃない誰かになれたなら
ずっとずっと昔、私は思っていたっけ。
自分じゃない誰かになれたらいいなと。
幼稚園の頃は、近所に住んでる可愛らしい女の子で、
小学校のときは、同じクラスの活発な女の子で、
中学校のときは、部活のキャプテンだった先輩で、
それから、それから、
思えばいつだって自分じゃない誰かになりたかった。
そして、その誰かはいつも自分とは真逆で、キラキラして見えた。
いいな~、あの人、幸せそうだな~
そう思っていつも見ていたっけ。
空想の世界ではいつも自分はなりたい人になれた。
でもそれは空想なので、現実の毎日を過ごすのはやっぱり自分で……
それはとても苦しいことだった。
カウンセリングをやっていると、昔、私が憧れていたような人たちが
来てくれてる。
私が持っていないものをいっぱい持っている人や、こんな人になりたかったな
といつも思っていたような人が来て、そして、その人たちは言うのです。
「生きるのが苦しいです」と…。
昔、私がなりたいと思っていた人たちも、キラキラして見えた人たちも、
やっぱり誰かになりたいと思っていたのかもしれない。
みんなみんな生きるのは大変なことで、
苦しいと思いながらも、他の誰かになりたいと思いながらも、
自分は自分で生きるしかなくて、他の誰にもなれなくて。
だとしたら、そのままの自分を受け入れて生きるしかない。
なんてなことを考えていたら、本屋さんで目にとまったのが、
平野啓一郎さんの「ある男」

戸籍を入れ替えて別の人間になってしまう話。
ただ、この小説は戸籍を替えるだけなので、自分の性格が変わるわけではない。
だけれど、戸籍を変えて、違う名前を名乗って、違う過去を語れば、
いつの間にか、その人物になってしまうのではないかと思う。
この小説は暗くて、哀しい。
結局は戸籍を替えたとしても自分以外の誰にもなれなかったんだけどね。
最近、私はさすがに誰かになりたいなんて思わなくなった。
別に自分は自分だから、まっいっかと流せるようになった。
それもこれも年齢を重ねたことと、体力がほんとに無くなったことで、
考えても仕方のないことを考えなくなったから。
どんなことにも体力は必要で、若い頃はかんがえるだけの体力があるから、
悩みのパワーもハンパないくらいに大きくなるけれど、年を取るとそんなパワーも
なくなるから、悩みも深くならなくて楽になった。
若いうちは仕方ないね。悩みとはなかなか縁が切れないね。